残留農薬検査の最近のブログ記事

河川の護岸工事で、最近になって川岸に土を残した「ほたる工事」や、ブロックの一部に土を詰めた「ほたるブロック」が登場してきた。

河川の水も、以前に比べると汚染が少なくなっているから、人家の少ない静かな場所では、少しずつホタルの光もよみがえるかもしれない。

ホタルの話を中心にしてきたが、細かな事情は異なっていてもトンボもだいたい似たような経過で、都市部から姿を消し、一時期多用されたPCP(ヤゴの餌になる魚が死ぬ)や、残留性の強い殺虫剤BHC(昭和四六年に規制された)などの影響で、郊外でも数が減ったようだ。

この十数年で、地方都市だけでなく、小さな町や村でも下水道の整備が進み、衛生環境が著しく改善された。

そのため、トンボの餌になるハエやカが激減したことも、大きな原因といえるだろう。


「発ガン性試験が、民間の研究機関でもある程度ちゃんとできるようになったのは、50年代じゃなく、60年代に入ってからですよ。

つまり、大変残念なことだが、当時は詳しいことを調べる方法がなかった。

関係者がサボっていたのなら問題ですが、わからなかったわけです。

広く使われ始めたのが大体50年前。

それでだいぶあとから、いろいろ問題があるとわかって、使うのをやめて20年近くたっている。

今、農薬の問題を議論する時に、DDTを引き合いに出すというのは、ちょっとおかしいと思います」

しかしそれでは、30年後、50年後に、1990年あたりをふり返って、"よくこんなキケンな農薬を使っていたもんだ"と言われる可能性もあるわけですね。




農家一戸当たりの耕作面積が狭いーこれが、日本の農業の最大の弱点である。

政府による基盤整備の推進や、離農者の増加も要因となって、経営規模の大きな農家も増えてはいる。

しかし、その反面、0.5ha未満という小規模農家がまだ40%も占めている(北海道を除いた地域)のが実状だ。

このため、農家一戸当たりの耕地面積は、全国平均で1.2haしかない。

ところが、北海道の場合、明治以降に開拓されたという背景から、経営規模が大きく、一戸当たり耕地面積は、全国平均の十倍近い11.3haに達している。

その北海道の中でも、とくに経営規模が大きいのが、十勝地方である。

87年の統計によると、総農家数10670戸に対して、5720戸と、半分以上が20ha以上の耕地をもっており、平均面積も24.3haと、全道平均の2倍以上だ。

専業農家率も高く72%。

これは全道平均の1.5倍である。

経営規模では、ヨーロッパなみの水準といわれている。


大阪市春日出に、1988年に完成した〇〇化学の安全性研究所は、動物が病気にならないような管理された施設。

安全性研究所主任研究員は、「よく"動物御殿"なんて言われますよ」と笑う。

確かに、そう表現してもおかしくないだけの設備だ(もっとも、試験に供される動物たちにとっては、刑務所のようなものだろうが......)。

ラット、マウス、ウサギなどの小動物から、イヌやサルなどの大型動物まで、全部で二万匹を飼育できるが、まだその半分まで達していないそうだ。

ちなみに、これら実験動物の値段は、ラットで一匹1500円、マウスで500円程度だという。




慢性毒性、発ガン性試験は、ラットについては併合が可能なことは、前に書いた通りで、そのほかに、それぞれもう一種類ずつ、同じ試験が必要で、全てが終了するのには3年以上かかる。

終了後、全動物を解剖し、一匹につき30~50枚の標本を作って顕微鏡で検査する。

なお、慢性毒性試験によって、「実験動物に一生涯にわたって毎日摂取させても何ら悪い影響が出ない最大の量」が得られる。

これを最大無作用量(NOEL)と呼び、農薬残留基準を決めるさいの指標にする。

ここまでみてきた試験項目が全てクリアーされたとすれば、取りあえず私達自身については、農薬が原因で病気になったり、死んだりすることはない。

しかし、もう一つの大事な子孫への問題が残っている。


同じ成分でも農薬と防疫用では管轄が違うところで、農薬取締法では、農薬の定義を次のように定めている。

「農薬とは、農作物(樹木及び農林産物を含む。以下『農作物等』という)を害する菌、線虫、だに、昆虫、ねずみその他の動植物又はウイルスの防除 に用いられる殺菌剤、殺虫剤その他の薬剤及び農作物等の生理機能の増進又は抑制に用いられる成長促進剤、発芽抑制剤その他の薬剤をいう」

つまり、「殺虫剤」といっても、田んぼや畑の害虫を殺す目的で使う時には農薬の一つだが、家の中のハエやカを殺すのに使うものは、防疫用殺虫剤であって、たとえ同じ成分でも農薬ではない。

こちらの方は、厚生省の管轄となる。

 1987年の夏、北海道にアワヨトウという虫が異常発生したことがある。

昼間は株元や葉の裏にひそんで、夜になると作物を食い荒すことから、"夜盗虫"の字があてられている虫で、第一世代と第四世代は麦や芝、牧草に、第二、第三世代はイネに害を与える。

残留農薬検査



ホタルに限らず、多くの水棲昆虫は、油や洗剤などさまざまな物質が混じった生活排水などの物質の影響を受けやすい。

毒性の問題もさることながら、洗剤などの界面活性剤が流れ込むと、水面の表面張力が変わる。

それだけでアメンボやミズスマシが水面での浮力を失って、そこでは生きられなくなったりもしたようだ。

油が水面に膜を張ると、それが水棲昆虫の体の気門(呼吸をする孔)をふさいで窒息死させてしまう。

江戸時代から終戦直後まで続いた「注油法」は、この原理を応用したものにほかならない。

また、昭和30年代には、魚介類に対しても毒性の強いPCPが水田や果樹園などで使われ、それが河川に流れ込んでさまざまな生物を殺してしまったのも事実だ。




残留農薬検査
農家一戸当たりの耕作面積が狭いーこれが、日本の農業の最大の弱点である。

政府による基盤整備の推進や、離農者の増加も要因となって、本ブログで紹介している方々のように経営規模の大きな農家も増えてはいる。

しかし、その反面、0.5ha未満という小規模農家がまだ40%も占めている(北海道を除いた地域)のが実状だ。

このため、農家一戸当たりの耕地面積は、全国平均で1.2haしかない。

ところが、北海道の場合、明治以降に開拓されたという背景から、経営規模が大きく、一戸当たり耕地面積は、全国平均の十倍近い11.3haに達している。

その北海道の中でも、とくに経営規模が大きいのが、十勝地方である。

87年の統計によると、総農家数10670戸に対して、5720戸と、半分以上が20ha以上の耕地をもっており、平均面積も24.3haと、全道平均の2倍以上だ。

専業農家率も高く72%。

これは全道平均の1.5倍である。

経営規模では、ヨーロッパなみの水準といわれている。

農業粗生産額は、4年連続して2千億円を超え、北海道全体の20%を占めている。

水田はほとんどなく、主要作物は小麦、ばれいしょ、てん菜、豆類で、いずれも生産高は全道一だ。

ほかに、酪農も盛んで、乳用牛、肉用牛とも飼養頭数はやはり全道一位。

これら畜産が農業粗生産の40%強を占めている。

日高山脈と大雪山系を背に、太平洋に面したこの地方は、夏は比較的温暖だが、冬の寒さは厳しい。

サケの遡上で有名な十勝川流域には、十勝平野が広がる。

ワインの里・池田町や、今は廃線になった広尾線の愛国駅、幸福駅など、全国に知られる観光地も多い。

しかし、この広大な十勝平野は、約80%が火山灰地であり、土壌条件は決して良いものではない。

今日の、一大農業地帯を作りあげたのは、土地の改良を続け、寒冷地農業に挑んだ先人達の、血のにじむ労苦に負うところが大きいという。

残留農薬検査
ニトロソアミンと、タバコに関するかなりの部分は、黒木登志夫著『がん細胞の誕生』(朝日選書)を参考にした。

この本の中に、非常に示唆に富んだ表現があるので、その部分を引用しておこう。

研究が進むにつれて、ひと口に発がん物質といっても、ピンからキリまでさまざまであることが分かってきた。

食物に混ぜて食べさせたとき、半数の動物にがんを作る量は、マイクログラムからグラムまで100万倍の間に散らばっている。

つまり、同じ発がん物質といっても、大悪玉もいれば、中悪玉、小悪玉もいる。

中には悪玉なのか善玉なのか区別がつけにくいものもある。

"恐れるべきを恐れず、恐れざるべきを恐れる"ことにならないよう、今こそ、発がん物質を評価する新しい道を探るときであると思う。

食品添加物に厳しい目を向ける消費者運動の人たちがタバコを吸っているのでは何にもならない。

猛毒物質の代表格のようにいわれる青酸カリ(シアン化カリウム)は、0.2㎎で人を殺せるが、金属の精錬やめっきなどに用いる限りは有用な物質である。

薬にだって同じようなことがいえる。

便通の良い人にとって、便泌薬は下痢を誘発させる代物でしかない。

他にもまだある。

睡眠薬は、不眠症の人にとっては薬だが、一定量を越えると死んでしまう。

血圧降下剤も、高血圧の人には薬だが、低血圧の人には毒でしかない。

「医者のサジ加減」とは良く言ったものだ。

ところで、もう一度、質の話に戻ろう。

虫も草も、そして人間も、地球上の生物という枠でとらえれば同じような生き物だ。

しかし、どういう生物かと考えれば、これは全く別な生き物である。

必要とする栄養もエネルギー源も違うし、生まれてから死ぬまでの生理作用もまるで違う。

それだけに生産物の品質には気を使って作っているそうで、「ハチを放す時期は殺虫剤が使えなくなるので、開花前に十日に一度くらいはまいている」そうだ。

また、イチゴの大敵であるウドンコ病や灰色かび病が出たら、被害果は捨てるほかはないそうで、「ハウスの中だから病気のまん延も早いんです。一度出たらそのハウスの収穫はもう駄目だね」

被害を未然に防ぎ、収穫を確保するためには、農薬の散布はかかせないということだ。

「無農薬では、ハウスイチゴは絶対といっていいほどできないよ」

侵入してくるウンカは、長距離飛行向きの長翅型だが、これが卵を生んで生まれる次の世代は、翅が発達しない短翅型になってしまう。

長翅型と短翅型では全然形態が違うので、昔は、別種と考えられていたが、同一種の中で、発生密度の低い時には短翅型、密度が高く(つまりエサが足りなくなりそうに)なってくると、今度は長翅型が生まれるようになり、次の繁殖場所へとまた大移動することがわかった。

だんだんいろいろなことが判明してきたのだが、まだまだ解明しなければならないことも多い。

中国大陸のどこから来るのか、海を飛び越えるエネルギーは何かーなど、未知のことがたくさんあるのだ、という。

さて、"ウンカの基礎知識"はこれぐらいにして、話を進めよう。

モニリア病や、現在もなお重要な病害とされている腐らん病、あるいはワタムシやハマキムシなどが大発生し、大きな被害をもたらしたという。

こうした病害虫を防除するための農薬は、明治時代後半から、いくつかの種類が流通していたが、効果も不十分だし、有効な使用法などは十分に解明されていなかったから、当時の関係者達は、失敗を繰り返しながら、手さぐりでいろいろな試みを行っていた。

大正七年に、青森県内務部は、『華果園病害虫防除暦』を発行した。

これは『華果園病害虫予防駆除剤』という、今でいえば、農薬のカタログのような冊子の付録として印刷され
たもので、これが、日本で最初に作られた農薬散布暦だった。

それによると、薬剤散布は年5回で、石灰硫黄合剤、ボルドー液などの散布時期や量が指示されている。

特に労賃の高い国においては、発展途上国など労賃の低い国の製品と競争するため、より高度な製品の開発を進めて、収益の改善を図る。

それが産業の高度化である。

農業においてもしかりである。

農産物の高付加価値化を進めて、高い労賃や高い土地代などの悪条件を克服しながら、国内の他の産地や輸入農産物との競争に勝ち抜き、貯蓄を増やして行く。

それが農業の高度化でもある。

そう考えれば、金額ベースの自給率の高さは、日本の農業は経営感覚に優れた農家によりグローバル化という厳しい国際化の波の中で、実にうまく健闘し、時代の環境に適応しているとも言える。

そして2004年度の目標として、グリーンツーリズム人口一二〇〇万~一四〇〇万人、市民農園の整備一八万区画、三大都市圏の農業粗生産額の全国シェア(市場占有率)六%の維持としている。

そして2001年度の目標として、グリーンツーリズム人口九六〇万~一一〇〇万人、市民農園一四・六万区画、三大都市圏のシェア六%と設定した。

さて、結果はどうなったか。

まず、グリーンツーリズム人口だが、農家民宿の宿泊者数をアンケート調査したところ前年と同水準の九〇〇万~一〇〇〇万人となった。

不況の影響で伸び悩んだようだ。

市民農園は一四.二万区画にとどまった。

そして、五ヵ年計画の2004年度には、作付け面積五〇八万ヘクタール
最終目標の2010年度には、同五三二万ヘクタール
生産量は、2004年度一三八七万トン
ニ〇10年度一四九八万トンと設定している。

さて、2001年度の結果はどうであったか。

作付け面積は四七九万ヘクタール、生産量は一三七四万トンであった。

作付け面積、生産量とも、目標を大きく下回っている。

というよりも生産量こそ趨勢値を上回っているものの、作付け面積は趨勢値をも下回っている。

これは明らかに、農水省が過去の統計から想定した趨勢をも上回る要因が加わっているからだろう。

その要因は、農家の高齢化による野菜耕作(野菜は重く、腰に負担のかかる農作業が多く、高齢者には特に負担がかかる)の減少と、輸入攻勢と考えられる。

企画評価課は、これらの政策評価報告書と政策シートについて、評価方法に客観性が確保されているか、評価結果が妥当かどうかなどを審査しながら、目標に対する達成度合に応じてランク分けし、有効性と必要性の両方向から各政策を評価して行く。

ランク分けに関しては、達成度合九〇%以上を、「A」(概ね有効)

そして、そこでは政策分野ごとの評価に加えて、一八〇にのぼる政策手段別の評価も行い、二二の政策手段を「廃止」すべきと評価した。

ただし、その評価手法はまだまだ農水省官僚の感覚でしかなく、消費者や生産者の意見を反映させた評価には距離があり、今後改良の余地が大いにある。

最初の年度(2000年度)は政策分野を七九とした。

そして、2001年度はこれを見直して七〇とした。

この政策分野を主に担当する主管課は、この評価シートに従って、その政策の目標、その目標達成度を計測するための実績値と目標値、ならびに実現した目標達成度の要因分析などを記入して、まずは各局、各庁の政策評価担当課に提出する。

これらの担当課は、提出された政策シートについて、実績値の把握方法が妥当か、分析などのコメントが妥当かなどを審査しながら、各庁、各局としての政策評価報告書を作成し、これを大臣官房の企画評価課に提出する。

それは食料の貿易自由化という時代要請に対して、規模拡大、生産性の向上といった繰り返し言い続けてきた農政では限界があるという現実に目覚めることである。

現実を軽視した農政に説得力はない。

まして欺隔と粉飾で説明される政策に誰も耳を傾けない。

今回の事件を契機に、農水省は従来の農政を見直し、消費者の信頼を得られる農政に大改革する必要がある。

事態を重く見た全国農業協同組合中央会(全中)は「消費者から信頼され、生産者の負託に応える経済事業の刷新に関する委員会」を設置し、それに消費者、学者、学識経験者の代表を加えて農協の意識改革に取り組んでいる。

生産者団体組織である全農までもが、ニセ表示犯罪に加わっていた事実は極めて重いと言わざるを得ない。

農水省も事態を重視して厳しい行政指導に乗り出している。

しかし、全農も流通業者の中で商売をしている団体であり、競争に打ち勝つ責務を担っている。

ニセ表示が横行し、その中で利益をあげ、競争に勝ち抜くために手を染めざるを得なかった側面も、農水省は厳粛に認めるべきである。

そのうえで、生産者団体として、国民の理解が得られる対策を実施すべきである。

現実が提起した厳しい問題に目を背け、建前の対策に終始したのでは解決策は見つからない。

机上の空論に近い、見栄えだけの対策に終わってしまう。

すなわち,1985年9月のレーガン大統領演説以来,米国は貿易政策をより攻撃的に変えた。

従来の陳情を待っての301条調査開始では生ぬるいとして,通商代表自らのイニシアチブに基づく同調査の開始に踏み切ったのをはじめ,ガット提訴をより積極的に利用するようになった。

米国のガット提訴は1980年代に急増しているが,その大半は1985年以降の提訴である。

米国の攻撃の矢面に立ったのは,第1にEC,続いて日本,カナダ等である。

わが国では,日本ばかりが米国に叩かれているかのような印象が一般に強いと思われるが,実のところ,米国に最も叩かれてきたのはECである。

米国のガット提訴増の2つ目の重要な要因は,実は301条調査手続と密接に関係している。

ガットの紛争処理手続を最も活発に利用してきたのは,米国とECである。

 まず最初に米国について注目すべき点は,一方的制裁措置やガット無視の行動によって「ガット離れ」を進めているといわれる米国が,実はこれまで最もひんぽんにガットの紛争処理手続を活用してきた事実である。

1948年から89年までの間にあった総計約140件の紛争案件のうち,約3割の45件は米国の提訴によるものである。

1980年代から90年代初めにかけてガット提訴件数は急増しているが,この時代だけをとってみても,提訴数の一番多いのは米国である(80年代の米国の提訴数は23件,2位のECは21件,続いてカナダの20件)。

米国のガット提訴の多さは,1つには,ガットを戦略的に使うという米政府の政策判断を反映している。

上記の文言を交渉上の目的として設定した上で,交渉の手順が1987年1月28日に他のすべての交渉グループとともに決定された。

まずガットの紛争処理プロセスの機能について参加各国が分析し問題点を交渉グループに提出する。

これを審議するなかで交渉が適切と思われる問題点を明らかにし,次に交渉の対象として適切と判断された問題点について参加国は具体的な提案を提出することとなった。

こうして提出された提案をべ一スに実質的な交渉に入っていったのである。

2 「中間レビュー」(Mid-term Review)
交渉開始期における議論では,ガットの紛争処理メカニズムは迅速化を要するものの比較的うまく機能しており,急激な改革は必要ではないという点で一71マv干月yJ:「肥枕倣同駈vノ」出I!魯曾ノ応の合意が存在した。


1 プンタ・デル・エステ宣言
紛争処理の問題が新ラウンドの交渉項目になることはすでに準備委員会における議論のなかで明確になりつつあったが,正式に交渉項目として認知されたのは,1986年9月15日から20日にかけて開催されたガット締約国団特別総会において採択された閣僚宣言の第1部によってである。

同宣言は紛争処理について以下のように規定した。

「すべての締約国の利益になるように紛争の迅速,実効的な解決を確保するために,交渉は紛争処理プロセスのルールと手続きを改善,強化することをめざすべきである。

その際,より実効的で履行可能なガットのルールや規律が果たすことであろう貢献も認める。

本件交渉は採択された勧告を遵守しやすくするような手続きを監督,監視するための適切な方策についてその可能性を模索することも含むものとする。」

関税化の目的は,不法不合理な保護手段を合法的合理的な保護手段に変えて,ガットの原則を守るとともに制度改善に役立てることです。

ちなみに,国際収支の赤字対策としては,マクロの経済政策の改善,とくに財政赤字の削減が最も重要であることがガットでも認識されています。

為替レート,公定歩合および経済・社会の構造改革も関係が深いでしょう。

ガット交渉で行なわれる個々の産業または産品の市場開放,すなわちミクロの対策は,その範囲にもよりますが,効果が限られています。

しかし,その積み重ねが一歩一歩貿易自由化を進め世界経済を活性化してきたのです。

ガット第12条は,国際収支の赤字に悩む国が輸入全般に課徴金または数量制限を一時的に課すことを認めています。

農業の将来に不安をもっている農家が多いと思います。

コメ制度の改革を受け入れるためには,農家の人たちを安心させることが大事なのではありませんか。

そのとおりです。

農家の理解を求めるために,関税化にともなう転換をスムースにする対策を政府が早く発表すべきです。

しかし,関税化そのものに対して農業団体と政治家が今のように反対していては,それがやりにくいでしょう。

農業団体と政治家が世界に目を開き,農業の将来と国家・世界の大計のために力を貸していただきたいと思います。

関税化は日本の黒字対策にはならないのではありませんか。

コメの関税化は,日本の大きな経常収支黒字の解決にはわずかしか貢献しないでしょう。

(3)コメ問題は,米国で業界の提訴があったときに,rURで解決する」ことを日本が米国に提案し,米国がそれを了承した経緯がある。

国際信義のためとガット体制をこわさないために,この問題はガット交渉で解決しなければならない。

(4)コメ問題の解決なくして農業交渉は妥結しない。

また,農業交渉を置き去りにしてURを終結させることはできない。

交渉開始時に「包括的妥結」
が合意されているからである。

(5)農産物の輸出に依存している国は途上国にも多く,コメをガット規律の例外と認めては,ガット体制が世界の信用を失い崩壊の危険にさらされる。

農業あるいはコメだけをガット体制の外に置いておくという主張は,国際的に受け入れられる可能性はない。

(6)日本はガット違反の「国内完全自給」,すなわち輸入禁止を継続することはできない,これを主張しつづけては,国際秩序を乱す者,UR交渉を推進するどころか,妨害した犯人として扱われることになる。

(7)日本は2国間交渉よりはガットの多国間体制を重視していかなけれぽならない。

多角的交渉は健全で安定し,無差別で衡平な世界経済秩序を構築することに貢献している。

さて,コメ問題については,ガットの無理解からくる誤解が多い。

まず,本問題に対する日本の対応についての武田邦太郎氏の意見を紹介し,次にダンケル案の概要を示し,最後にダソケル案についての誤解を解くために質疑応答形式で解説した。

コメ問題は,URで解決しなければならない。

米国との2国間交渉で解決を図った方がよいとする意見は誤りである。

その理由は次のとおりである。

(1)ダンケル関税化案は,農業交渉を決着させてUR交渉を終結させるために特殊状況のもとで出されたきわめて寛大な妥協案である。

日本がコメ問題を解決するこの千遇の好機を逃すべきではない。

(2)日本はこれまで交渉で選択肢があるときに,最後までがんぼれと反対しつづけ,いよいよがんばり切れなくなったときに,ろくろく交渉をしないまま,他国に責任を転嫁して大譲歩をすることがあった。

このようなまずい交渉を今回も行なうべきではない。

ダンケル案については交渉すべきことが多く,時間がかかる。

同政策が外国政府に対して,自国の企業が米独禁法の域外適用を受けるのを甘受するよりも,輸出自主規制取決めを結ぶほうを選択するイソセソティヴを与xていると指摘している。

今回の米独禁法域外適用の新しい方針についても,同様の問題が指摘できないだろうか。

なぜなら,米国の輸出に影響を与える外国企業のカルテル行為であっても,米国は,自らの輸出拡大のためになるのならば,そのような行為を実際上外国政府に要請してきたからである。

たとえば,日米半導体取決めのもとでの通産省の行政指導による輸入拡大努力は,まさにそのような一例であろう。

その一方で,米国の輸出利益に反するようなカルテル行為については,域外適用の基準を厳しくするというのであるから,身勝手な政策といわれても仕方あるまい。

残留農薬検査
不況期に新製品開発や新規事業への進出を見送るのはメーカーではオーソドックスな経営手法だが、外食産業にもこの手法を取り入れた。

バブル崩壊後、ライバルのすかいらーくが低価格店「ガスト」を、ロイヤルがサラダバーが売り物の「シズラー」など新業態店を次々に出店した。

一方、デニーズは既存店のブラッシュアップに経営資源を集中し、シェア確保に万全を期した。

九六年2月期は、総額一二億円をかけ、全店舗四80店のうち半数近くの二二一店でじゅうたんを交換し、壁紙を張り替え、内装中心に改装した。

経営のもう一つの特徴は八八年から続く無借金経営だ。

対外的に高い信用を得るだけでなく、ディスインフレで自己資金の価値が高まる時代には、競争力で一段と優位に立てる。

夜九時過ぎ、ひっそりと静まった東京・神田のオフィス街に、こうこうと灯がともるスポットがある。

カップルやビジネスマンで満席の「デニーズ神田小川町店」だ。

週末も隣接のスポーツ用品店街から流れる若者たちが、席が空くのを談しながら待つ。

この都心店の月商は三〇〇〇万円以上、デニーズ全店でも、トップクラスの売上高を誇る。

デニーズジャパンは、商圏人口を三万人以上とする都心部のドミナント(地域占有)出店を進めた。

東京・新宿区の明治通りを中心にした半径五キロ圏内には、実に一四店がひしめく。

デニーズの小原芳春社長は「地価下落で店舗の賃料も安くなった。

大都市に強いデニーズだが、空白地帯は数多い」と、ライバル社のはじき出しにさらなる意欲を見せる。

戦略を一言で表現すれば「定石の経営」だ。

年間五〇〇億-六〇〇億円に上る青果物売り上げの半分は直接取引で占められる。

そのジャスコは自らの提案に基づき、九五年から産地と組んだ新たな実験をスタートさせた。

現在、長野経済連から年間千数百トンの生食用リンゴを仕入れているが、よりコストを削減できる生産方法を取り入れた商品を生産・販売する試みだ。

九四年から輸送の合理化に取り組んできたが、さらに一歩進めて産地側に踏み込んだ形。

授粉に虫を使うとともに、一個ずつ袋掛けしていた作業を省略、無駄な手間を省こうという内容だ。

「商品化までに五年は必要」という長期プロジェクトだが、コスト削減効果が大きいだけに長野経済連との情報交換にも熱が入る。

同社は各産地とのスポット的な契約を、十年ほど前から定期的な契約に切り替えてきた。

今度は、今回のような生産段階から踏み込んだ企画などを通じて、産地との"同盟"を強化していくという。


「二十三年前と何ら変わっていない」。

九六年2月に青果を受け持つ農産部長に就任したマイカルの河野芳治氏はがく然とした。

入社してすぐに生鮮野菜を担当、その後鮮魚や精肉などの部署に移り、久しぶりに生鮮野菜担当に戻ったが、入社時と比べても青果流通の中身自体はほとんど変わっていなかったからだ。

だが、表面的にそう見えても、産地と小売りの連携強化を通じて、既存の流通の仕組みにインパクトを与えるような変化の波はじわじわと押し寄せている。

「国産を中心に生鮮食品の品ぞろえを拡充するため、産地との提携を広げていく」(岡田卓也ジャスコ会長)。

ジャスコは産地を巻き込む形で、新鮮で、しかも割安な商品の安定仕入れに力を入れてきた。

残留農薬検査
酪農王国社長の近藤忠一同農協組合長は「初年度の来客数三〇万人、売上高は一〇億円以上を目指す」と意気込んでいる。

同農協の酪農家数は五四戸、牛乳製品の年間売上高は三二億円。

酪農の歴史は百年以上あり、首都圏のスーパーや県内の牛乳販売店などに納入しているが、ここ数年は頭打ち状態が続く。

「丹那牛乳などの知名度はあるが、加工食品を使って小売りに販売を依存するだけのやり方には、いずれ限界がくる」(近藤社長)。

こうした危機感が、初期投資額一二億円、面積一万九〇〇〇平方メートルの"王国建設"に駆り立てた。

メニューは地場農産物を使ったものが中心。

特に地ビール工房は、年間生産量五五〇キロリットルと地ビールでは国内最大級。

静岡県、伊豆半島の入り口に位置する函南町で、日本中の酪農家が注目するプロジェクトが進んでいる。

地場食材を使ったアイスクリーム、チーズなどの乳製品、牛ステーキ、有機栽培野菜・果物、地ビールなどを提供する四五〇人収容のレストランを中核施設とした一大レジャーゾーン「酪農王国」の建設だ。

開業予定は九七年。

運営する第三セクター「酪農王国株式会社」は、地元の函南東部農業協同組合と函南町が七五%を出資。

有機農産物宅配の大手、日本リサイクル運動市民の会(東京・新宿、会員世帯数五万五〇○○)や有機農産物の加工品メーカー、フルーツバスケット(静岡県函南町)などが民間から名を連ねた。

九六年夏には、各団体の代表者からなる取締役会を開き、着工への詰めをした。

生産者に対し、買い入れ価格以外のサービスもおこたりない。

九六年春消雪剤や消雪剤の利益で生産者に安く肥料を提供し、米の品質安定につなげる五年後に通販の主媒体はインターネットになるとの判断からだ。

ホームページで水田の写真などを消費者に提供する一方、生産者に消費者からのクレームなどを還元するという。

より直接的な生産者と消費者の関係を構築するために先端技術も活用する。

涌井代表は巨大販路のスーパーや経済連にしがみつくコメ卸や農協が「市場から消え去る前段階」にあるとみる。

いずれスーパーが自ら集荷・卸機能を取り込むと見るからだ。

そのことに従来の集荷・卸業者もようやく気付き始めた。

あきたこまち生産者協会による独自の価格による集荷・販売ルートづくりはコメ集荷・卸業者にとって当然の戦略になっていくだろう。

同じ戦略をとる業者との競合でどう生き残るか。

今後、同協会の真価はそこで問われることになりそうだ。

コスト削減を目的に進めている中国山東省での冷凍総菜生産も、コメビジネスの拡大につなげる。

山東省ではこの五年で八工場、二物流センターを建設し、すしネタ、とんかつなどフライ各種の生産を始めた。

人出のかかる冷凍食品を安価に生産する一方、国内のコメを組み合わせて、冷凍すしや弁当など付加価値の高い商品開発に取り組もうとしている。

消費地に遠い四国・観音寺に本社をおく宿命で、「東京の同業メーカーと比較するとマーケティングカや営業力に劣るL(加藤社長)。

うどんだけ、エビフライだけの単品工場を本社の周囲に展開し全国に供給する「フローズンタウン(冷食工業団地)」方式によって品質管理を徹底、量産効果を引き出して成長してきた。

残留農薬検査
「豊富な原料を抱える中国、先端頭脳を持つ米国、市場状況把握に優れた日本で市場は三極体制を構築していく」(岡田社長)という。

味の素が天然調味料などの新工場(川崎市)を約六〇億円を投じて建設に着手するなど大手も攻勢を強めてきたが、アリアケはさらに飛躍の舞台を広げようとしている。

コメ市場自由化に合わせて、精米とコメの卸売り事業にも進出した。

新潟県塩沢町には精米工場を設立したほか、首都圏や香川県の米穀卸と提携、加工米飯から一歩進んだコメそのものの取引にも事業を拡張した。

「全温度帯のコメ商品を手掛けることで市場に深く食い込む」(加藤社長)戦略
だ。

コメ市場はめん類市場の一〇倍の約四兆円。

うどん同様のシェアを握ると仮定すると加ト吉のコメ事業は最大で一〇〇〇億円規模に成長する可能性を秘めている。

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東京、大阪など主要六都市の販社にパソコンを設置して営業を始めた。

「おっ、今回の新製品は売れ行きがいいそ」。

味の素では毎日、商品開発や営業の担当者が机の上のパソコン画面を見ながら前日までの販売動向を簡単にチェックできる。

事前の販売計画と実際の売れ行きを比較、一目で達成度がわかる「MASSA」(味の素販促支援システム)が支援するからだ。

予定通りの場合は無印、やや苦戦しているものは「△」、計画の九〇%以下しか売れていないと「×」がつく。

「問題点の早期発見に役立てる」(食品開発部の山中正彦専任部長)のが狙いだ。

九五年の夏、本社で本格稼働し、九六年の夏には全国の支店で使えるようになった。

味の素はさらにMASSAを拡張し、商品の過去の販売履歴をもとにして新製品の売れ行きを予測するシステムも開発中だ。

新商品を発売する際にその将来性を"保証"するデータをセットで売り込むことで、販売先を説得できる。

デジタルビデオカメラで撮影した枝肉などの高精細な動画像を、ISDN(総合デジタル通信網)を通じて各地の端末に伝送。

食肉加工場にいる担当者が顧客の顔をテレビ電話で確認しながら、商品説明を加えたり、要望に従ってビデオで撮影していく。

画像を電子カメラの記憶媒体に保存することで、「営業マンが二〇〇頭分の和牛をカバンに詰め込み、セールスに出る」ことも可能だ。

今後拠点を海外にも拡大する。

量販店や精肉店が全国に点在する特産牛を買い付ける場合、二日、三日といった旅程を組み生産地まで足を運ぶ必要があった。

伊藤ハムはハイテクを駆使してこれまで手の届かなかった遠隔地の顧客を一気に手元に引き寄せる。

日本ハムも静止画像ながら産直受発注システムを導入。