2015年5月アーカイブ

侵入してくるウンカは、長距離飛行向きの長翅型だが、これが卵を生んで生まれる次の世代は、翅が発達しない短翅型になってしまう。

長翅型と短翅型では全然形態が違うので、昔は、別種と考えられていたが、同一種の中で、発生密度の低い時には短翅型、密度が高く(つまりエサが足りなくなりそうに)なってくると、今度は長翅型が生まれるようになり、次の繁殖場所へとまた大移動することがわかった。

だんだんいろいろなことが判明してきたのだが、まだまだ解明しなければならないことも多い。

中国大陸のどこから来るのか、海を飛び越えるエネルギーは何かーなど、未知のことがたくさんあるのだ、という。

さて、"ウンカの基礎知識"はこれぐらいにして、話を進めよう。

もっとも、散布暦ができたからといって、病害虫防除が一気に効果をあげたわけではない。

大正八年から三年間の作況指数は、60、83、79である。

風害など気象の克服とともに、病気や虫の害をいかにして防いでいくかは、農業にとって、昔も今も変わらない課題だ。

今来さんは、18歳で就農して以来、40年以上もりんご作りに従事してきた大ベテランである。

「農薬がなかった昔は、虫が出ると大変だった。

シャクトリムシが出ると、葉が全部喰われてしまってな。

そうすると、ホントは翌年に出るはずの葉が芽を出すから、次の年も葉が足りないから花がつかず、(収穫が)ダメになってしまう。

葉を喰われたために、10月や11月に花が咲いちまうこともあったな」

残留農薬検査
モニリア病や、現在もなお重要な病害とされている腐らん病、あるいはワタムシやハマキムシなどが大発生し、大きな被害をもたらしたという。

こうした病害虫を防除するための農薬は、明治時代後半から、いくつかの種類が流通していたが、効果も不十分だし、有効な使用法などは十分に解明されていなかったから、当時の関係者達は、失敗を繰り返しながら、手さぐりでいろいろな試みを行っていた。

大正七年に、青森県内務部は、『華果園病害虫防除暦』を発行した。

これは『華果園病害虫予防駆除剤』という、今でいえば、農薬のカタログのような冊子の付録として印刷され
たもので、これが、日本で最初に作られた農薬散布暦だった。

それによると、薬剤散布は年5回で、石灰硫黄合剤、ボルドー液などの散布時期や量が指示されている。