2014年8月アーカイブ

一般的にそういう国はどういうところにあるかというと、今書きました最貧国のような国が非常に多いわけです。

たとえば、バングラデシュとかネパール。

こういう国では人口の増加率が比較的大きく、経済力が低いわけで、ほかで収入を得ることができませんので、大部分の人たちは農業に依存せざるを得ない。

農業に依存するけれども技術水準が低いから、単位面積当たりの収量を高めていくという努力はそれほどされていない。

そうすると、人口がふえた分だけ食糧を確保するには、外延的に耕地を拡大していかなければいけないということになる。

耕地を拡大していくと、今まで耕地でなかった林野であるとか、そういうところを耕地にしてしまう。

われわれはこの世界の食糧問題を解決するためにどのようなことをしなければいけないかということになります。

問題は、先ほどからいっていますように、ある一部の、取り残された国といっていいと思いますが、そういう国の生産をいかに拡大するかという問題に尽きるのではないかと思うのです。

そういう国は外貨もありませんから、すぐ食糧を買うということはできませんが、現在のように価格が安ければ国内の投資を進めるよりも食糧輸入に走ってしまう傾向にあります。

必要な外貨を食糧の輸入に使ってしまえぱ、資本財や生産資材を買うことはできませんね。

そういうことをやっていれば、いつまでたってもその国は自分の食糧生産を増大させることができないわけです。

そういうことで、1980年代以降、1986年がピークになりますけれども、先進国の農業予算の中で、輸出補助金も含めて価格関係の補助が急速に膨らんできたわけです。

そうなりますと、それぞれの国が財政的にも困ってくる。

アメリカですと、軍事費も含めて財政赤字がますます大きくなってきました。

アメリカの経済の大きな問題としては、財政赤字と貿易の赤字の双子の赤字ということがしばしばいわれておりますが、一方の財政赤字というのが非常に大きな問題になっている。

ですから、特定の法律をつくって、機械的にでも財政赤字を減らす努力を片一方でしているわけですが、一方においては農業のように保護を強化していくという形で財政負担を増大させるようなことが出てくる。

ECの方でも財政負担がますます多くなってくる。

ECがそういう形で始めると、アメリカがまたそうやる。

アメリカがやればまたECもやるというような形で、補助金のエスカレーションといいますか、そういう状況が続いてきたわけです。

片一方においてそうやって農業を保護していきますと、農民にとっては価格的にあるいは所得的にそういうものを生産していればある程度有利ですから、生産を続けます。

過剰になっても生産を続けるということで、過剰と保護というものがお互いに影響し合って、ますます過剰を増大させるということが生まれてきたわけです。

そういう保護はやはり財政負担で賄わざるを得ない。

日本の場合もそうです。

農業に対する保護というのは、一部は消費者が負担している部分もあるわけですけれども、かなりのところは財政負担、つまり国民の税金で賄っているわけです。

アメリカの場合でもECの場合でもそうです。

相対的な問題ですけれども、輸出可能性が拡大しているのに比べると、輸入市場は小さくなっています。

穀物の輸出国というのはだいたい先進国で、アメリカ、カナダ、オーストラリア、フランスですね。

それにアルゼンチンなどを加えると世界の輸出量の8割はカバーされてしまうわけです。

そういう先進国では、技術の革新があって工業生産が非常に伸びていきます。

そうすると農業というのはそれに比べると相対的におくれた産業になっていきますから、農業者の所得は工業者に比べると不利になっていく。

そこで、国内的には所得のギャップを埋めるために農業を保護せざるを得ないということになるわけです。

その農業を保護する一つの手段として、そしてまた狭まってきた市場に対して自分の国の生産物をより有利に売るためには、補助金をつけて輸出するということが1980年代から急速に広まってきたわけです。

余談になりますけれども、私のところには五〇人ほど研究員がいるのですが、そのうち女性研究員が四人。

比率からいけば一割近くいるわけですから、大変な女性進出です。

皆さん、それこそ超一流大学を出ておられる女性の方々でございますから、大変優秀で、小さいころからよくできる子で育ってきたのでしょう。

ときどき私は、「君はちゃんとザブでお米をといでいるか」とかいって皮肉っているわけですが、「えっ」なんて真剣な顔をして聞き返してきます。

そういう彼女たちでございますけれども、私がうちへ帰ったときに、家内が玄関で三つ指ついて迎えなかったらぶんなぐる、というようなことをいうと怒られる。

これは皮肉でいうのですが......。

しかし今はそんなことは通じない。

そんなことは昔の時代のことです。

次の時代はどういう時代なのか知りませんけれども、女性の方々のー女性の方々がエモーショナルだということをいっているわけではないのですが、女性の方々の進出とかなり関係がある。

たとえば食い物の選び方でも、現在、固いものが嫌われるわけです。

みんなソフトが好きでございます。

最近、明治製菓がグミという商品を開発いたしまして、歯ぐきを強くする食べ物ということで出しておりますけれども、そういうものを見ましてもやはり変わってきている。

何よりも大きいのは、女性の方々が社会へ出ることによって、それまで食事づくりの主体だとアプリオリ(先天的)に考えられていたことが変ったことです。

これは私も含めて、古い世代の考え方です。

果物ということになると、皆さんは皮づくりに一生懸命になっている。

皮づくりが足りないと、外にワックスを塗って磨き上げるということをやるわけです。

それからよく例にとります曲がりキュウリなどというのは、一緒に並べておいたら、絶対皆さん買っていきません。

同じことはミカンもそうでございます。

ワックスをかけない、いぼいぼの、亡くなりましたが坂本九ちゃんの顔のようなミカンを出しておいたら、とてもではないけれども、だれも見向きもしてくれない。

そのことの理解が、これから大切だ。

非常にいいづらいですが、どうもこのところ家庭におきましても社会におきましても、女性の方々が大変強くなってまいりまして、その女性の方々の主導権の発揮というのが、あらゆる意味で影響を及ぼしている。

これは多分過渡期なのだろう。

わが国の農業にとりましても、あるいはわが国の経済にとりましても、原油というのはいわば血液でございます。

今や原油の供給なくしてはわが国の経済は成り立たないというのは皆さんご存じのとおりです。

たまたま、今は一五ドルから一八ドルの間でふらふらしておりますからいいけれども、これがかつてのような三五ドルといったような水準に逆戻りいたしますと、わが国の経済はたちまち成長力を失ってしまいます。

原油が一ドル高くなるごとに、購買力と申しましてわが国の稼いだお金がどれだけ外に逃げていくかといいますと、一〇億ドルずつ逃げていくわけです。

原油一ドルにつき一〇億ドルずつ逃げていくということになりますから、これはアッという問に稼ぎが全部ふっ飛んでしまうということでございます。

この問題と絡めて、食料問題を同じテーブルで安全保障問題として議論するのは大変危険でございます。

この問題については、やはり切り離して考えざるを得ない。

よく食料問題の話をやるときに、原油の話が出てまいります。

非常に厄介な問題といたしまして、ここに出しておきましたが、原油と金と穀物というのは相互に互換性がございまして、いずれも国際的にはスペキュレーションーつまり投機の対象になっております。1988年、皆さんご経験のとおりでございますが、アメリカに干ぼつがございまして、穀物価格が猛烈に上がりました。

しかし、事後的にみれば、トウモロコシは大変だったけれども、大豆は大したことなかったわけです。

しかし、シカゴの穀物相場は二倍三倍と上がったわけです。

しかもそこに吸い込まれていったお金はジャパンマネーということがいわれております。

結局これは、金が安い、原油も安いということから、投機の対象を求めて穀物に走ったというのが、1988年の穀物騰貴の元凶だったわけです。

これが非常に難しくしております。