2013年5月アーカイブ

新たな基本計画では自給率の目標を5年先送りし、平成27年目標を平成22年と同じ45%としたが、そのことについても意欲に欠けるものであるとする論議もあった。

しかし、大事なのは、目標達成に向けて生産面で不可欠な担い手、農地、経営安定対策、環境・資源政策についての具体策をまず明確にしていくとともに、いま一番困っている水田で何をつくるのかという問題に具体的な解決策を示していくことである。

石油価格の高騰のなかで、世界の国々が取り組んでいるバイオエタノール燃料化も含めた新たな作物対策が急がれる。

水田農業への戦略的な作物対策として、耕畜連携による持続的な循環型農業の推進とも関連して、飼料作物・ホールクロップサイレージの作付け、飼料米の生産、水田への大家畜の導入などを支援する仕組みを大々的にすすめることが必要である。

ところで、自給率目標については、どう政策を推進していくのかの政策樹立の目標となるものであり、まず目標が明確にされるべきだとする主張が多くだされた。

また、新たな基本計画では、平成27年のカロリーベースの目標(45%)設定に加えて、生産額ベースの目標(76%)も併せて設定されたことについて、わが国の自給率の水準を高めに見せるためのものではないかとする論議もあった。

水田農業を特徴とするわが国農業の特性からして、その改革をはかるためには、つくり易さから過剰を生んでいる米作をどう転換し、遊休化している水田をどう有効に活用し、所得を実現していくかが最も大きな課題である。

とりわけ、水田農業で所得を実現しなければならない担い手にとっては、規模を拡大しても、コメ以外の作物を導入・定着させないと経営の安定がはかれない。

ところが麦や大豆も生産拡大がすすむなかで品質や需要面で一定の制約が指摘されてきている。

いま各地で議論をしていてわかるのは、実際に農業者が多くの懸念を抱えているということである。

もちろん、政策の基本については、どうしても担い手を地域のなかでつくり上げていかなければならないことは承知している。

農業者自身がみても、地域のなかで将来背負っていける農業者がいるのかと聞いたら、農業者自身も「いない。

この地域は大変だぞ」という認識でいる。

そういう意味からしても、とりわけ水田農業について地域のなかで徹底して話し合った上で、「この地域では意欲あるこの人や、この組織に支えていってもらおう」という方向に持っていく必要がある。

そういう意味では、地域の実態に応じた担い手をつくり、その経営を支えるために、直接支払いの仕組みをつくり上げていくという政策手法は、やはりーつの大きな前進だと考える。

話し合いのなかでこそ、農地を預ける農家にとっても不安のないものとなるだろう。

また、それら地域ビジョンは、地域の農業を活性化させるという将来のあるべき姿を示すものでなければならない。

農地を預けた人も、家庭菜園を確保し、農地や水や環境の保全で役割を果たし、意欲があればファーマーズマーケット等へ出荷するなど趣味と実益を兼ね、地域社会の構成員として役割と貢献を果たしていくものでなければならない。

このことは、均質な小規模零細農業者を1人1票の平等の原則のもとに協同組織として成立してきたJAにとっても、組織原理を混乱させずに「農家総参加」のもとですすめる方向といえる。

JAグループの事業・組織のあり方も、多様な担い手を事業・組織運営の基本に位置づけながら、みをつくりあげていかねばならない。

こうした方々がそれぞれ自国に帰って、政府関係組織や農協などで要職に就き重要な役割を果たしているのだ。

フィリピンに行ったら、日本では20年ほど前に取り組んだ家畜の預託制度が、いまなお盛んに行われていた。

農協が集めた共同資金で豚を買い、個別の農家に肥育を任せる。

そして成長したら販売して資金を返すという仕組みだ。

また、タイでは、一村一品運動という大分県ではじめた仕組みが持ち込まれていた。

それも好評で、商品作物を農村に定着させる力になっている。

われわれの経験がASEAN各国で生きているのは間違いない。

また、農業協力ということでは、JAグループは、アジアモンスーン地域のコメを主食にした9ヵ国の農業団体との間で、アジアグループ(協力のためのアジア農業者グループ/AFGC)という組織をつくっている。

毎年、年に2回は互いの国を回って、勉強会や意見交換、シンポジウムを行っている。

また、40年前から、農業者の所得向上のため、協同組合の活動をアジアで振興させようとアジア農協振興機関(IDACA)を組織し、様々な活動を行ってきた。

たとえば、アジア各国の農業関係者の長期研修をわれわれの経費で受け入れている。

受け入れ者数は延べ5000人にのぼっている。

日本と多くのアジア諸国は、同じ水田農業の地帯にあるからこそできる連帯がある。

農村の開発、道路・港湾など農業基盤の整備などがそうである。

こういった整備によって農業者の生活が向上し、国民の所得と需要も拡大する。

それに国内の生産が応えていくというプロセスによって、アジアの農業者の貧困が解消され、福祉向上のための何らかの力になれるのではないかと考える。

日本はいろいろな経験をし、技術力を持っているわけだから、ASEAN各国の農業基盤の整備、農村開発の部分で力を発揮できるのではないだろうか。

一方、ASEAN各国をみると、すべてがそうだとはいえないまでも、貧困の問題を抱えている。

アジアの国々のことを思うとき、つねに貧困をどのように解消できるのか、どんな支援の仕組みがあるのか、ということを考える必要がある。

これまでも、日本は相当な額の経済協力を行ってきたが、決して農村の貧困は解消できていない。

かといって、日本を市場として農産物をアジア各国から受け入れるだけで問題の解決ができるかというと、そうはならない。

やはり、アジア各国の農村開発により農業者の生活を向上させ、国レベルでの所得も拡大するなかで社会が発展するような農業協力が必要である。

歴史的にみても、東南アジア諸国連合(ASEAN)各国と日本とは切り離せない。

アジアモンスーンの米作を中心とした零細な水田農業を基本にしているところも同じである。

日本は、第2次世界大戦の前には、コメをはじめとして相当な農産物をタイや韓国、台湾などから輸入していた。

戦後日本は、農地改革を行って生産力を上げたが、それでも不足するコメはこれらの国々からの輸入に頼っていた。

しかし、高度経済成長の過程で圧倒的に食肉や乳製品などの需要が拡大し、飼料穀物を中心にアメリカに依存するようになった。

これは最近のことである。

したがって、農業者に過保護農業批判をするのは間違いである。

また、わが国の高関税品目は10品目程度であり、コメをはじめとする地域の重要な特産物である。

これをとらえて過保護というのも当たっていない。

アメリカの農業法による緊急支払いや、目標価格に満たない場合の不足払いの仕組みは日本以上に過保護であるし、EUの共通農業政策も域内価格と域外価格の差額を輸出補助金や差額支払いとして助成しており、仕組みそのものが日本以上に過保護である。

課題は、零細分散錯圃を克服できるかどうかである。

土地所有の問題を解決できるかどうか、これはわが国の政治と経済の運営にかかっている。

これを市場原理や競争原理でやるとしたら、農地の所有をめぐって、株式会社の農地所有という形での新しいバブルがはじまりかねない。

高度経済成長のなかで、都市と農村、サラリーマンの賃金所得と農業者の所得の格差も拡大し、コメに集中した零細な水田農業の所得維持のために米価の引き上げが焦点となった。

都市計画地域、農業振興地域の設定等により、農地の価格の抑制や、農用地利用増進法による所有権でなく利用権を流動化させる取り組み、農業の法人化による担い手への農地の集中対策が講じられてきたが、必ずしも大きな効果を生んでいない。

まさに、米価に集中した価格政策は、水田農業の複合経営による所得確保上も欠かせない飼料穀物を関税ゼロで自由化した見返りであった。

また、零細規模を解消できなかったのは、農家が資産として農地を手放さなかったという批判の前に、農地価格をいたずらに高騰させた経済運営に問題があったといわざるを得ないのである。

わが国の米価は、戦後も長い間、国際価格を下回る価格水準であった。

そして、国内の需要に追いつかず、戦後20年間は海外からコメを輸入していたのである。

足りるようになったのは昭和40年代の初期からである。

一方、昭和30年代の高度経済成長の進展のなかで、アメリカから飼料穀物を中心に関税ゼロで大量の穀物を輸入すべく自由化をすすめたのである。

工業製品輸出の見返りでもあったし、農業国アメリカからの強い要求でもあったと考えられる。

この結果、3000万トンに近い大豆や小麦、こうりゃんやとうもろこしが低価格で入ってくることになり、まさにわが国の水田農業から大豆や麦が消えたのである。

わが国の農地は、国家の形成がなされて後の班田収受に代表される土地本位制にみられるように、食料生産の手段というより大事な資産であった。

戦後の農地改革は、「所有が砂を黄金に変える」ことで一挙に生産力を拡大して飢餓を救ったが、半面では小規模零細分散錯圃が常態化することとなった。

そして、高度経済成長のきっかけをつくった工業の地方分散は無秩序な農地転用を生み、金融バブルによる土地神話は農村部にまで及び、収益還元価格を圧倒的に上回る農地価格の高騰を生んだ。

日本の農業の生産性は低く、とりわけ水田農業の作物は大きな内外価格差を生じている。

しかし、わが国が農業国から工業先進国へと転換していく過程において、たとえば明治初期の殖産興業に際しては、農地からの地租財源や養蚕による繭や絹織物がその発射台になったし、昭和の高度経済成長期には、農村からの若年低賃金労働力や、工場の地方分散による低廉な農地の転用や兼業労働力が、その発射台になったのは明白である。

先進工業立国としての日本は、現在の農業の実態を踏み台にして存在しているのであり、鉱工業サイドだけの努力の成果ではないということである。