2014年5月アーカイブ

最後にあげるのは、ガットの場において、米国とECが事実上豪族支配を行なう危険性があることである。

ECは拡大の一途にあり、将来はEFTAと東欧の諸国を飲みこんで巨大化するであろう。

強力な交渉力をもつ米国は、北米自由貿易協定の成立によって地盤が拡大しようとしているが、自国の地盤沈下で自国のための利益追求が強くなっている。

ガット体制にとってこれまで最も重要であったのは、米国の強力なリーダー関係国が交渉を続け、ガットにおける決定をわずらわせずに、2国間で合意に達することが多い。

ガットは当事国による問題解決をガットの原則やルールに基づいたものであるかぎり奨励している。

複雑に変化する世界の経済貿易事情に対してガットは迅速かつ有効に対処することを期待されている。

しかし、国際機関としてできることに限界があるのも事実である。

ガットの基本性格は、このような状況から判断しなけれぽなるまい。

もう一方で、ガット体制運営上よく問題とされるのは、「ただ乗り」(freeride)である。

ガットの交渉では、先進国、途上国の別なく、自国の負う義務をできるだけ少なくし、他国から引き出す譲歩をできるだけ多くしようと駆引きが行なわれる。

途上国の場合は、先進国間で交渉させて、労せずにその結果をいただこうとしたり、自国に利益がある分野での結果のみをつまみ食いして、他分野での国際協力をしぶることがある。

とっくに卒業して立派に働いている国が、途上国の身分にしがみついて特別待遇を受けようとすることもある。

拡大したガットの運営上の問題が多い。

米国は初期のガット交渉では寛容であったが、今ではただ乗りを厳しく問題にしている。

ウルグアイ・ラウソド交渉開始にあたって、交渉結果を1つのパッケージとして扱い、参加国が結果の一部のみをつまみ食いすることを許さない旨が合意された。

この合意を実行すべく強く推進しているのも米国である。

しかし、東京ラウンドにおけるのと同様な事態が、ウルグアイ・ラウンドで交渉中の新分野についても起こることが懸念されていた。

サービス貿易の交渉の結果、ガット、すなわち「関税および貿易に関する一般協定」とは別の「サービス貿易に関する一般協定」が締結される。

この協定は、その有用性を直ちに認める先進国および一部の途上国のみが参加して発足する可能性があると考えられていた。

同じく作成中の貿易関連知的所有権協定と貿易関連投資協定についても、適用国が限定されるコード方式を避ける努力がなされた。

しかし、これらは途上国が警戒心をつのらせている分野である。

途上国の合意を得てガット全加盟国について発効させることはかなり困難であるとみられていた。

いずれにせよ、これらの協定が発足すると、先進国は途上国による協定の受諾を、技術協力や投資などの経済協力供与の条件とすることが予想される。

途上国の多くは、次のような理由で新ルールの採択に反対したり、日和見的態度をとった。

(1)先進国主導でつくられたルールがよく理解できない。

(2)自国への影響が不分明である。

(3)義務ばかり増えて利益が少ない懸念がある。

このような状況では、長年苦労して得られた交渉結果が水泡に帰する。

東京ラウンドで採択された非関税措置および政府調達に関する新ルールは、このような状況のもとでやむなく、それを受諾する国の間でのみ効力を生じることになった。

ガット体制を複雑化させたとして批判されている東京ラウンド・コード方式はこのようにして生まれたのである。

その後、東京ラウンド・コードの受諾は徐々にではあるが着実に増加している。

ガットでは市場経済諸国が主流で、比較的小世帯であったため、経済貿易問題について解決し決定を採択することが国連機関より容易であった。

できるかぎり全加盟国の同意を得て満場一致で決定の採択を行なうことが伝統になっている。

他の機関でかつて行なわれたように、途上国がその数にものをいわせて主要国抜きで強行採決を行なうようなことはまったくみられなかった。

その後、途上国が次々とガットに加入し、世帯が大きくなるとともに、これまでの良き伝統を守ることがむずかしくなってきている。

今後旧ソ連邦諸国や中国、台湾などがガット加盟国になるであろうから、その運営は複雑化しよう。

リーダーやまとめ役の役割がますます重要となる。

ガット運営上の問題は、東京ラウンドにおいて非関税措置に関する追加ルールを採択するにあたって顕在化した。

ところが、この補助金支出は、それでなくても巨額の財政赤字に悩んでいるアメリカ政府にとっては、大きな重荷である。

過剰在庫をかかえていた八六年の実績で、コメ(残留農薬検査済み米を含む)、小麦、トウモロコシなど主要穀物に使った輸出補助金が一二〇億ドル(約一・五兆円)に対し、輸出がわずか四五億ドルでは、商売にならない。

おまけに、七〇年代の農業大拡張期に、穀物メジャーが後援する巨大農場が急成長すると、それにならって莫大な借金をして規模を拡大した中小農家は、80年代の不況の波をもろにかぶり、以前の七倍以上の負債を払いきれずに倒産する農家が続出している。

農地価格も半値以下に下落し、「数年のうちに、アメリカの家族農家の五〇%がなくなるだろう」とさえいわれるほどの状況である。

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もちろんこの差額はアメリカ政府が埋めていて、もっともひどいときには、新米一〇〇ポンド(約四五キロ)を輸出することに一七ドルも穴埋めしたのだから、これが輸出補助金制度でなくてなんだというのか。

ともかく、この安売り攻勢で、八六年にアメリカは世界のコメ(残留農薬検査済み米を含む)取引きのシェアを奪い返すが、当然、コメ(残留農薬検査済み米を含む)の国際価格は暴落する。

その結果、西アフリカの国々の大勢の貧しい米作農民たちが廃業に追い込まれ、都市化と砂漠化に拍車をかけた。

外貨収入をコメ(残留農薬検査済み米を含む)輸出にたよっていたタイは、深刻な経済危機に見舞われ、タイ東北部を中心とした米作地帯の農民が、続々と首都バンコクのスラムに流れ込むという状況をもたらしたのである。

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収入の九割以上が補助金である。

日本の農家が"補助金づけ"といわれている比ではない。

ところが、それでもコメ(残留農薬検査済み米を含む)在庫は増えつづけ、八六年にはアメリカのコメ(残留農薬検査済み米を含む)生産の約六割が過剰在庫になってしまった。

この過剰在庫を解消するために、アメリカ政府は、"マーケティング・ローン"という名前の輸出補助金を導入する。

この補助金は、形式上は農民が手持ちのコメを担保にして政府からローンを受けるというものなので、アメリカ政府は補助金ではないという。

このローン形式の農業支出にだまされ、アメリカは農業を保護していないのに、日本やEC諸国は農業保護をしていると思っている人も多いが、現実にこのマーケティング・ローンが導入された八六年4月以降は、アメリカは、当時の生産者価格のなんと三分の一でコメ輸出ができるようになったのである。

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そして、コメ(残留農薬検査済み米を含む)の国際価格が韓国の不作で上がった80年から八一年にかけて、アメリカは約四割も増産した。

ところが、韓国の不作もおさまり、それまでコメの大輸入国だったインドネシアが八四年に自給を達成し、またタイがアメリカ米の三分の二から半分という安値で大々的にコメ(残留農薬検査済み米を含む)輸出をはじめたのである。

大増産したアメリカのコメ(残留農薬検査済み米を含む)は輸出できず、八一年から五年間で、コメ在庫は五倍近くにふくれあがった。

そこでアメリカ政府は、農家に対し、補助金と引きかえの減反政策をとる。

その結果、八六年にはARPという補助金つき減反比は耕地面積の三五%にもなり、アメリカの稲作経営の純現金所得に占める不足払い補助金の割合は九三%にも達した。

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それに、アメリカの場合、農業予算額の四分の三を占める大規模農場を取りだせば、当たりの農業予算額は数千万円にもなる。

アメリカの農業は強いはずなのに、なぜそんなに補助金が必要なのか。

その経緯を手短にふり返ってみておこう。

すべてのはじまりは、1973年の世界的な食糧危機のとき、コメ(残留農薬検査済み米を含む)や大豆、小麦のアメリカ国内買い付け価格が三倍近くあがったことである。

この大儲けに味をしめたアメリカ政府は、農産物を輸出戦略品目とし、国内価格の安定のために維持していた生産制限を撤廃した。

農民も農地を担保に銀行から借金して、農地を拡大したり、新しい機械を買ったり、規模拡大を大々的にはじめた。

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