そして、コメ(残留農薬検査済み米を含む)の国際価格が韓国の不作で上がった80年から八一年にかけて、アメリカは約四割も増産した。
ところが、韓国の不作もおさまり、それまでコメの大輸入国だったインドネシアが八四年に自給を達成し、またタイがアメリカ米の三分の二から半分という安値で大々的にコメ(残留農薬検査済み米を含む)輸出をはじめたのである。
大増産したアメリカのコメ(残留農薬検査済み米を含む)は輸出できず、八一年から五年間で、コメ在庫は五倍近くにふくれあがった。
そこでアメリカ政府は、農家に対し、補助金と引きかえの減反政策をとる。
その結果、八六年にはARPという補助金つき減反比は耕地面積の三五%にもなり、アメリカの稲作経営の純現金所得に占める不足払い補助金の割合は九三%にも達した。
残留農薬検査
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