日本の初夏の風物詩であった田植えの光景も田植機の爆発的な普及によって姿を消したが、人力を機械力におきかえただけであって、日本の水稲耕作の基本的な形は変わっていない。
このような日本の気候条件と植物成育の条件を考えると、日本の縄文時代の人々が受け入れることができた農耕は、どんなものでもよかったわけではないのだということが分かってくる。
しかも縄文時代の人々は、すでにのべたような自分たちの優れた経済システムを作り上げていたのだから、よほど有利な生業方法が来ない限り、従来からの安定した経済システムを捨てて農耕に移ることはなかったであろう。
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