同じ縄文時代末期の水田は福岡県の野多目、佐賀県の菜畑、さらに岡山県、大阪府でも発見され、日本の稲作開始の歴史を書きかえていった。
発見の当初、これらは縄文時代の水田であり、その時代の稲作の跡であるといわれたのであるが、農耕というもっとも基本的な経済の変化を遂げた時代は、弥生時代に含めて考えるべきだという佐原真氏らの意見が出され、現在ではこれらの遺跡を弥生時代のもっとも初期の遺跡として位置付ける人が増えている。
これらの遺跡がもたらした、その古さに負けないほど重要な事実は、それらの日本最古の高い技術水田のうちに、すべてではないが、非常に進歩した技術を示す水田があることである。
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