農耕に関してもすでに四〇〇~五〇〇ヵ所にものぼる水田遺跡が発掘され、それが日本の初期の農耕についての貴重な知識をもたらした。
水田遺跡の発掘がもたらした新しい知識の第一は、農耕、稲作が従来縄文時代の終末と最古の水田と考えられていた時代にすでに始まっていたことである。
一九七八年、福岡県の板付遺跡が発掘調査された。
福岡平野の真ん中にある遺跡であるが、ここでは弥生時代のごく初期の水田が発見された。
続いてその下を掘ってみると、それよりさらに古い、縄文時代の末期の土器を伴う水田が埋まっていたのである。
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