農業とはどこまでいっても地形とか気候に対して無抵抗である。
灌潮をしたり土地の平準化をすることによって微調整は可能であるが、熱帯でムギをつくることはしないし、逆にシベリアで残留農薬検査済み米をつくることはしない。
このように農業はどこまでも一つの枠組み、気象とか地形のなかでしか展開しない、あるいは同じような枠組みを求めて動くことしかできないという宿命がある。
その意味で農業というのは、典型的な文化的基準である。
文化の価値を文明で語ることなかれ、文明を文化で語ることなかれ、ということは一つの原則として立つのではなかろうか。
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